放遊日記

Let love conquer your mind.

天邪鬼入りまーす

f:id:hoooyu:20220303223525j:plain

今日は夕日を浴びながら45分の散歩。やっぱ朝日というか昼頃に日を浴びたい感があります。なーんか日を浴びないと!という気持ちが最近大きくなってきています。ただ毎日運動しちゃうと脚が持たないので休みを入れないといけないんですよね。痛めると回復に時間かかってウズウズモヤモヤするし。そこで思ったんですけど、毎日歩いたりジョギングしてる人いますよね?あれ凄いよね。どこも痛くならないってことでしょ?そういう点でおじちゃんおばちゃん馬鹿にできないというか、素直に尊敬。羨ましい。

 

未だに自転車の整備してなくて。やってねーなーって感じで時は過ぎています。

 

そんなことはさておき気になること。

「共感」

人と同じだとつまらない、面白くないから違うものを選ぶように生きてきました。

理由は他人の言葉の責任の無さだと思います。多数派にいれば考えなくていいし味方がいる。それに嫌悪感があって変な方、少数派に寄ってしまいます。

この弊害か、人の意見に乗っからない場面が数多くあって。人に「なんで?」と根幹を聞いたり、Aと言われればBを示唆する、というような感じで会話にズレのようなものが発生します。

そもそも相手が答えを求めているのか、ただ聞いてもらいたいのか、共感・同意が欲しいのかで返答を変えるべきらしいのですが、上記のようなことがあり僕は上から目線の回答になってしまうようです。僕自身が人に相談せず自己解決してきたことも原因の一つでしょう。

 

最近学んだことがあります。

あまり話さない人は的確なワードを発する。それは相手を信用していないから。

これに感服。「コミュ障」や「雑談」や「ガールズトーク」これらに違和感があった理由は会話に無駄な部分があり、根本解決を目的としていないから。

お喋りな人というのは同じ内容を耳にすることが多くどちらかというと嫌いでした。でもこれはコミュニケーションであり、社会的動物として必要なもの。

 

僕はこれを知らずに今まで生きてきたわけです。なので「共感」というものが難しい。それでも、この歳からでも直していきたい。細かく見れば僕にもAという意見があって、それを人からAだよねーと言われたときに「Bかも」と自動修正を入れているはずなので素直に答えられれば改善の余地がある。はず。彼女でもできれば即効で直るんでしょうけども。

今回はこの辺で。

ばーい