あくび ミラーニューロン 俺
小さい頃に聞いた「あくびはうつる」という話。
小さいながらに「なんで同じことをしてしまうのだろう」と疑問だったのかもしれません。「あくびはうつる」と聞いてから真似しないよう真似しないように生きてきました。この頃から「本能への反抗」を楽しんでいたのかもしれません。
今の私はというと「人と被りたくない!」が基盤にあります。同じ色、モノ、作品、アイドル取り敢えず人と被ってると「え~?いっしょ?」ってなります。そのせいか、人と好きなものを共有しようと思ったことがありません。これは「俺が好きなもの」。
なぜこのようなことを書き出したのか。
動画かなんかで「共感」できていると記憶に残った場面が同じで恋愛だか結婚だか続くとかなんとか。内容はエビデンスのあるものですよ。んでサイコパスとかだとその値が低いみたいな話でした。思いました。俺、欠伸うつらないよう意識して生きてきたから矯正されてサイコパス寄りになってんじゃね?って。サイコパスって言葉は便利で自分の感じてきた違和感、異常を綺麗に片付けられるんですよね。で、「ミラーニューロン」に注目したわけです。
自分で感じた変なところ。
映画『君の名は。』を先を読もう先を読もうと意識して鑑賞してました。すると先の展開がわかって?想像できて?一人で先に涙ぐんだことがありまして。その後にBGMとともに泣けるシーンが来るわけですが。
映画『銀魂』実写版で時代劇なんかでよくある「お主も悪よのう」からの包みを渡すシーンがありまして。そのときは完璧に先が読めて「これお互い渡し合うやつ!」って先に笑った場面がありました。現場ではそのすぐ後に笑いが起きていました。
お笑いなんかですべるシーンがありますね。そういう時は必ず一人で先に笑ってしまいます。これやっちゃうとすべりを潰す形になるので芸人さんたちは間を作ってるのだと思うのですが。
こんな感じでちょいちょいアレ人と違うエモーションが出ます。普通に会話してて笑っちゃって「なんで」みたいな雰囲気になったこともあります。これ別に馬鹿にしてるんじゃなくて「やること見つかったんだ。いいな」って意味で笑ったんですよ。
あと、コミュニティ内で他の人が怒ってる場面とかは自分の代わりに怒ってくれてる感じがあって助かってる部分があります。これに関しては感情的な人を見て冷静になれたりするソレと似ているのかもしれません。
それでも。
仮面ライダーとかプリキュアで泣くし。他人に泣いたところなんて見せませんけど、一人のときは泣いてます。泣きすぎ。弱虫ペダルとかハイキューとか泣くやろ。だからサイコパスほどミラーニューロンないわけではない、と思います。
何はともあれ。
この「あくびはうつる」が今の「被りたくない」の根源なのかもしれないと可能性の一つを見いだせたことにアハ体験。
久々に一気に書けてセーラー服と機関銃です。
ばーい