好きになるということ
僕がいわきで足止めを食らい、友達が海外から帰国して偶然会えることになった東京の電車の中での会話。
『偶像崇拝』
「推し」という言葉が当たり前になった時代。
恋愛にも科学的な攻略が有効となった。
その一方で「恋」や「愛」や「結婚」という言葉に何かと重いイメージが張り付く。
いつしか傷つくことを無意識に近いところで避けるようになった。
溢れる情報によって「自信」を失った。
「神を好きになったとして告白する?」
と聞いたら友人は「告白する」と答えた。僕も同じだった。
彼も僕も「偶像崇拝」ができないらしい。
否が応でも見えるその「虚無」に対して脳が反応するのだろう。
この会話は一週間前に交わしたものだが、今でもその波紋は続いている。
この「偶像崇拝」によって何を避けているのか、自分は何を恐れているのか。照らし合わせることによって芯の部分を知ろうとする。
そんな日がずっと続いている。
こういう真面目な会話は好き嫌いが出ると思う。特に初対面でする話とは思えない。それでも真面目に考えて答えてくれた友人に感謝するとともに、会えた偶然を心に刻んでいる。
おしまい