放遊日記

Let love conquer your mind.

今の自分から過去の自分へ。君にアドラー心理学を知ってほしい。

変わりたいと思うなら

君が原因から結果を考える人間なら「発想を転換」させるべきだ。

なぜ、そういう行動を取ったのか。なぜ、その選択をしたのか。

必ず「目的」があるはずだ。

原因論」ではなく「目的論」に立って考えてみろ。

過去に支配されてはいけない。

本当に世界は複雑なのか

まず最初に、人間は主観的な世界に生きている。価値観の違いといえばわかるかな。客観的な事実を動かすことはできないが、主観的な解釈なら変えることができる。

君は今、過去や自分の性格や容姿など色んなことが気になって身動きが取れないだろう。それらすべての悩みを消すには宇宙の中で一人で生きていくしかない。

でも、それは無理なんだ。

なぜなら社会の最小単位は「わたしとあなた」だから。

君は何度も「自分が消えればいい」と思っただろう。

君が抱えている「悩み」は人と人が関わって生きているから生まれる。

もし「人間が抱える悩みが、すべて対人関係の悩み」だとすればどう思うだろう?

少しだけ楽にならないか?

わかるよ。多くの悩みを一括りに片付けられるのは嫌いだろう。説明するよ。

過去と感情

小さなことにイライラしては自分が嫌になることが多々あるだろう。

君は感情には抗えないと思うか?

感情が爆発して人を殺してしまうようなことがあると思うか?

「そこまではならない」と言うだろう。それでいい。

感情に支配されてはいけない。

そして感情を都合の良い「道具」として使ってはいけない。

怒ってしまえば、その場では自分が優位に立てるだろう。

謝らなくていい、考えなくていい、硬い壁を殴って反省すればいい。

人間の脳は楽な方を選ぶようにできている。生きている中で起きた一つ一つの出来事を深く考えていたら、その場から動けなくなる。動かない標的を狙うのは自然界の基本だ。

もし、自分や人間を理解したいと思うなら「ポリヴェーガル理論」を勉強してみるといい。

それに脳は変化が嫌いだ。一つの習慣をつくるのに66日〜254日かかるという調査結果もある。

怒りという「道具」に頼ってしまうと、その道具を手放せなくなる。それはつまり、「変われない」ということだ。

これは感情が不要だと言っているわけじゃない。

人間の大脳にある「扁桃核」が感情と記憶に深く関わっていて、こんな話がある。

とある青年が重症の発作を抑えるために扁桃核を除去する手術を受けた。青年は他人に対する一切の関心を失って一人でいることを好むようになった。問題なく会話はできる。でもその相手が親なのか友達なのかは認識できず、表情ひとつ変えなくなってしまった。扁桃核を除去されたために情動認識を失い、他人に対して何も感じなくなった。

感情と記憶には深い関わりがある。感情を失うということは本当に一人で生きていくことなんだ。消えたい、感情なんていらない、一人でいたい、そう思うかもしれないけど生きるということは人と関わることなんだ。感情を失って一人で生きるとして、そこに今の君が入り込む余地はないだろう。もはや「その人生」は「君のもの」ではなく「別人のもの」だ。

感情は必要だ。ただ、支配されてはいけない。

変われないのか、変わりたくないのか

君は欲しいものはすぐ手に入れないと気が済まないし、短気だと自覚しているように感情的になりやすい。

実は「衝動に負けやすい」人は自制心を発揮したり、楽しいことをあとに延ばしたりするのが難しいようだ。不安を感じると課題を先送りにしてしまうし、計画性がなく、整理整頓が苦手で、集中力が乏しい、とされている。

これは君が悪いわけではない。普段は前頭前野が認知した情報に対してどうするかを決めている。しかし、嫌いなもの、危ないもの、怖いものを見たときには即座に扁桃核が反応して脳全体に緊急事態を発信する。生き残るために目の前のことに集中させるんだ。

自分にとって大切なものが脅かされたとき、目の前のことしか見えなくなる。

これは君の落ち度ではない。だが、目の前のことに気を取られたままだと「将来」は後回しになり、先延ばしの人生になってしまう。これを言い訳にしてはダメだ。

「変われない」理由ではなく「変わりたくない」理由を探すんだ。

「嫌われたくない」「傷つけたくない」だから「何もしない」

「嫌う」のも「傷つく」のも相手の領域だと思わないか?そもそも人の判断は状況が異なれば変化する。君がどれだけ頑張ろうと状況によっては嫌われることもあるし、相手を傷つけてしまうこともある。この段階に至るまで結果がわからないのなら、まずは行動を起こすべきだろう?

そのためには「課題を分離」するんだ。それは自分の課題なのか他者の課題なのかを考える。

見分け方は「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えること。

頼んでもいないのに、あれこれ口を出されると反発したくなるだろう?

対人関係のトラブルは他者の課題に土足で踏みこむこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされる。

自分にできる範囲と相手が決める範囲があるんだ。だからまず「勇気」を持って一歩を踏み出すこと。そして最善を尽くす。そこから先は他者の課題だ。

自由でなければ自分の人生を歩んでいるとはいえない。

君は「気づかれないこと」を美学にしているね。人のために行動して誰がやったのか気づかれなければ、君の勝ちだ。でも、たまには気づかれたい、褒められたい、感謝されたいと望んでいる。見返りを求めている。

褒められるため、感謝されるため、認められるために生きることは、それが「目的」になっている。何の反応もなければしなくなる。次は言い訳の材料になる。「あの人が気づかないから悪いんだ」と。

他者からの承認を求めて、他者からの評価ばかりを気にする生き方は他者が抱いた「こうあってほしい」という期待をなぞることを意味する。これは他者の人生を生きていることになる。

しかし、他者は君を褒めるために生きているのではないし、君も他者の期待に応えるために生きているのではない。

自分の人生を生きるのは自分しかいない。そして、自分の人生に意味付けをするのも自分自身だ。

全ての悩みは対人関係の問題であり、解放されるには宇宙で一人で生きていくしかないが、それは不可能だ。

であれば「自由」とは他者からの評価を気にせず、他者から嫌われることを怖れない、ということになる。

対人関係の築き方

「信用」と「信頼」二つの言葉がある。この違いは「条件」の有無だ。

「無条件に相手を信頼したところで裏切られて傷つくのは自分」こう思うだろう。

裏切るかどうかは他者の課題だろう?だから「信頼」するのか「疑う」のかを選ぶのは君次第なんだ。信頼することができれば「仲間」になるし、疑えば「敵」になる。

深い関係を築きたいのであれば「信頼」することだ。

ー休憩ー

  • 目的論で考える。過去に支配されてはいけない
  • この世界は主観的で、人間の抱える悩みはすべて対人関係の悩み
  • 感情に支配されてはいけない
  • 勇気を持って踏み出すことと「課題の分離」
  • 自由とは自分が生きたいように生きること
  • 深い人間関係を築くには「信頼」が必要

居場所と価値と

苦しくて辛いとき、自分の「居場所」を探す。

居場所がなければ、「自分の価値」を問う。

そして「存在する理由」を考える。

何度も陥ったこのパターンに終止符を打とうか。

君の居場所

パンを買うとしよう。そのお金はパン職人、小麦の生産者、流通業者など様々な人に還元される。目に見えないつながりまで含むなら地球に属しているといえる。社会の最小単位は「わたしとあなた」だからね。

一つの居場所を絶対視してしまうと、トラブルが起きたときに居場所がなくなってしまう。それはとても辛いことだし、そこに居続けるために殻に閉じこもったとしても外に出られるのはいつになるのかわからない。だから複数の居場所があることを知っておくんだ。

困難にぶつかって出口が見えないときは「より大きな居場所」に目を向ける。地球、人間、学校、家庭という風に見えない居場所がいくつもある。もし君が異を唱えて崩れる関係なら、そこまでの関係なんだ。関係が壊れるのを怖れて生きるのは他者のために生きることであり、不自由な生き方なんだ。

君の価値

人の役に立っている、居場所があると感じる、自分の価値に気づくことができる。

人の役に立つ。これは「褒めてもらう」ためでも「認めてもらう」ためでもない。君が「人の役に立っている」と感じるかどうかが重要だ。

課題の分離と主観的な世界であることを思い出すんだ。

信頼できる仲間のためにやることは苦痛じゃないよね。見返りを求めない自発的な行動。たまに人のために動きたくなる君ならわかるだろう。

ロジック

実は、君は存在しているだけで役に立っているんだ。

君の大切な人が体調を崩した、病気になった、事故に遭ったとする。

生きてくれているだけで良かった、と思うだろう。

その人が存在する。それだけで君の支えとなっているんだ。

君もまた、誰かの支えとなっていて役に立っている。

ずっと知りたかったこと

人間の最大の不幸は、自分を好きになれないこと。

「誰かの役に立っている」という思いが、自らに価値があると実感させてくれる。

自分が他者の役に立っているかどうかを判断するのは他者。ここには介入できない。

君には居場所がある。誰かの役に立っている。そして、価値がある。

以上だ。かなり気をつけて書いたつもりだけど、どこまで伝わるかはわからない。なんせ今の俺でも理解できてないところが多い。それでも少しは役に立つはずだ。

この先、自分の好きなことが嫌いになるという地獄のような出来事が二回ある。それでも今、何とか生きている。後ろも遠くも見なくていい。今を生きればそれでいい。