放遊日記

Let love conquer your mind.

僕の歴史

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茶王!

なによ?チャオって挨拶を漢字にしただけでしょうよ。

仮に君が「思考力低下」状態にあるなら「本を読め」と言っても通じないわけで。

何ができるか考えたけど僕のことを話すしかないわけだ。とは言っても人間だれしも秘密はあるわけで、秘密がないと面白くないし魅力も減るってもんでしょう?

 

<小学生>

家庭の抱える問題を友達に話しました。その話は友人から友人の親に、そして友人の親の周りに広まり自分の親のところへ。

悲しいかな、この時に僕は「人に話してはいけない」と思いました。冷静に考えれば「誰にも言わないでね」とか言えばよかったのでしょうけど、まー純粋無垢。すらすらっと話してしまったわけです。そして今でも覚えている。なんとも。

 

家の中で喧嘩なんてのは起こって当たり前のことでしょう。

母の泣く姿を見て僕は机の下に潜りましてね。「僕がいけないんだ、僕のせいだ」と心の深い場所に刻み込んだわけです。原因は忘れてしまいましたが、あの時に絶対防御壁を築いたのだろうと思います。

 

友達に足をかけられて前歯を折ったこともありました。多分、その友達はそういうことをやるタイプじゃなかった。だからこそ衝撃的ですごく嫌いになった。もちろん相手は意図的です。やり返しとして共通の友達と仲良くする方法を取りました。

 

友達のお兄ちゃんたちに誘われてついていくとエアガンでバンバン撃たれたこともある。

 

山の方に住んでいる友達の家に行って帰りのとき。友達は「送っていく」と言ってくれたのですが親が「ダメ」って言って雨の夕方、知らない山の中を歩いて帰った記憶があります。

 

こんな感じ。中学生のときはこういうことなかったかな。

 

<高校生>

高校は気を抜いたらヤラれるのでバリバリに気を張ってた。ここでこの反応したらなめられる、ここは正直に認めるとか割と頭使ってた。でねー昔からなんだけど通い続けるってのが無理なんですよ。それは小学生のときからで、思えばもう自律神経ちょいちょい狂ってたんだろうと。で、顔面神経麻痺になって入院か通院で入院を選びました。その時には疲れていたのでしょう。

退院しても休んでて成績云々言われてたけど正直どうでもよかった。なんなら入院に備えて本買って読書して「本おもしろいな」と思ってた。

・入院時の心境

人って会釈するでしょ?でもさ俺の顔半分動かないから表情が上手く作れないわけよ。じゃあもう一発目のコミュニケーションツールが死んでるわけよ。そんときに「なんで生きてんだろう」って思って。目と口が閉じないからさ、寝るときはテープ貼るでしょ。シャワーなんて全部入ってくるんだからww片手で塞ぎながら洗うのよ。食事も食事でこぼれないように顔を傾けて食べるの。

ステロイドの点滴も血が逆流するしさー、看護師さんは可愛かったような記憶があるけどなんか人に興味がなかった。それ、今もやないかーい!

 

高3かなーなんか流れで俺のカバンが踏まれて。その時はうつむいて隠したけど涙目だった。怒りではなく涙だった。

 

こんな感じ。

 

<働いてないとき>

PC買ってFPS触ってニコ生を通してフレンドが増えてた時代。

声をかけてもらって、チームに属するてか自らの意思でリーダーになりまして。引っ張る経験はないけれども夜に集まって活動したりしてたわけです。

ところがどっこい、チームといえど人は入れ替わります。そして有能な奴ってのはいるもんで。やはり勝ちに対する熱が違えば言葉も違う。(個人的には徐々に距離を詰めてじっくり理解を深めていきたかった)それに「この有能さん某大手企業で働いていた」と上の者から紹介されまして。それを言われると僕の意見は無価値。そりゃあチーム経験ありFPS上手い元〇〇に自分のカスみたいな意見を言えるわけがない。その時思ったんです。「じゃあこの人が全部やればいいじゃん」って。

基本、良い人で大人な人が多くて助けてくれる人もいました。自分の想定する速度、熱量、人員が一気に崩れてぶっ壊れました。

ほんで「ごめんなさい、辞めます」と全てを投げました。一回、なんで自分が声をかけてもらったのか聞きに行って踏ん張ろうとしたけど無理でした。

この次の日から引っ越しやったんです。ずーっと椅子に座って上を見上げてました。なんもやる気が起きない。ぽっかりと空いた穴。3か月くらいゲームできなかったのでその間ずっとなんとなーく生きていたのだと思います。

そのゲーム好きでやってたんですけど嫌いになっちゃって。

 

<自転車便>

メッセンジャーゆうやつや。

先輩に「ついてこい」いわれたら行くしかないねんな。

あいつら頭おかしいで?すり抜けバンバンすんねんから。あれで俺かっこいい思っとるやつまじでダサいからな。

ほんで、ついていったらバックすんのかせんのかわからん車がおって、ほな行くわーって進んだら下がってきてドンやて。ぶつかってん。

人生初の事故。運転者は泣いとるし、先輩は俺を置いて荷物届けに行った。方言丸出しの恥ずかしい若い警察官に「ここ?」てなんべんも聞かれた。色々やり取りして先輩帰ってきたから「念のため病院行っていいですか」ゆーたらふんわり無視。

保険会社もさっさ封筒送れうるさいしやな、散々やったわ。

・ここで失ったもの

この時、俺には自転車しかなかったんです。山行ったり海行ったり。一人で行って一人で帰ってくる。コイツとなら仕事できると思って一歩踏み出したらこれ。好きな自転車に乗れなくなりました。好きなものって心の中で火が燃え続けてるイメージがあったんですが、その火は真空の黒い箱に閉じ込められて消えました。

 

書き終えて思ったけどこれ意味あるんか?お偉いさんの失敗談は親近感湧くかもしれんけど、俺の傷ついた過去を書いたところで何か得るものがあるのかと今になって「?」が浮かびます。しかもこれ意外とダメージ低そうやろ?わかる。結局今も生きてるから大した話ではないよな。まぁ子供もトラウマを何度も再現することで乗り越えるし、これで俺もよりスッキリするんじゃなかろうか。

ばーい